ユニークでなければ、勝ち残れない (1)- ウィルコム 近義起副社長
http://journal.mycom.co.jp/articles/2007/02/07/willcom/
ユニークでなければ、勝ち残れない - ウィルコム 近義起副社長
(1)
PHSの始動、停滞、復興を経験
大川淳 2007/2/7
PHS が新たな時代を迎えている。携帯電話サービスの低価格化、高機能化の波に押され、ユーザー数は減少の一途をたどり、事業者は次々と撤退、一時は衰滅の危機のふちにまで追い込まれたかに見えたPHSだったが、音声定額制という武器を得て息を吹き返し、日本型スマートフォンの投入により、さらに脚光を浴びた。次はいっそうの高速化を期すなど、進化への足取りは休む間もない。そのPHS復活の立役者の一人といえるのが、ウィルコム技術陣を牽引する近義起執行役員副社長だ。日本のPHS誕生の現場に立会い、産業としてのその浮沈をつぶさにみてきた。
ウィルコム執行役員副社長の近義起氏
1995 年に国内でサービスを開始したPHSは、97年には700万台を超えたが、それを頂点として、その後は右肩下がり傾向に陥った。そのようななか、PHSはデータ通信に一つの活路を見出し、市場での一定の地位を得た。とはいえ、もはや、音声通話は専ら携帯電話の一人舞台、PHSの先行きに一体何があるのか、と少なからぬ人々が感じていた2004年、近氏は、世界市場全体をみれば、PHSの技術が進展、中国では多数のユーザーを獲得していたことを指摘、ウィルコムは、音声サービス強化、高速化への道筋、事業規模の大幅拡大との戦略を打ち出し、意気軒昂だった。翌年の5月、同社は音声定額制の導入に踏み切り、ほぼ横ばいだったユーザー数はたちまち上昇に向かった。この年の夏、同社では、PHS無線通信部分を小型モジュール化したコアモジュールを発表、秋には、パソコンとPHSを巧みに統合化したW-ZERO3を世に出し、その年の暮れには一大旋風を巻き起こしたのはまだ記憶に新しい。
PHS は始動からの10年で、大きく揺れ動き、変化した。この間、ずっと、PHSとともに歩み、苦境を経験し、復興へと導いた近氏は「存在感を示すには、ユニークなことを考えなければならない。そのためには、なるべく数多くの異業種の人たちといっしょにやっていくことが大事」と話す。携帯電話はあくなき高度化を続けるとともに、番号ポータビリティー制度により、市場の流動化の可能性が生じ、新規参入者も迎え、日本の移動体通信産業の分野は次の段階へと動いている。孤塁を守るPHSはどの方向へ進むのか。